毛利空桑 遺品展示館 もうりくうそう記念館

大分市南鶴崎2丁目7−15

自宅と塾とが残されている。これは全国的に非常に珍しいことです。
これら三棟の建物は大分県指定文化財になっています。

由 来:毛利空桑は寛政9年(1797)大分市常行に生まれ帆足萬里、脇蘭室に師事、熊本藩、福岡藩で文武両道にはげみ、ふるさと鶴崎に帰り塾を開いて多くの人々を教育しました。九州各地は言うに及ばず中国、四国、近畿からも門人が集まりました。明治維新では土佐や府内の勤皇の有志、長州の吉田松陰などと話し合って新しい世にする為働きました。空桑は、剛気、不屈、礼節をもって任じ、その生涯を通して人としての生き方を熱く説き続けました。「文ありて武なきは真の文人にあらず」「武ありて文なきは真の武人にあらず」を信条として教えました 空桑は明治17年(1884)に湯布院で静養したとき夕日に輝く湖を見て「金鱗(きんりん)湖」と名付けました。その年の12月88歳で亡くなりました。 毛利空桑旧宅:「天勝堂」
塾 :「知来館」