脇蘭室の墓 わきらんしつのはか

大字鶴崎寺畑
蘭室の高弟帆足萬里の書になる。「文教脇先生墓」と刻され、昭和32年大分県文化財に指定されています。蘭室は明和元年(1764)に生まれ、三浦梅園に師事その才能を認められ肥後藩(熊本)の学校(時習館)の教師となったがのち鶴崎に帰り塾を開いて多くの本や詩を書き弟子を教えました。その中の一人に勤皇家で名高い高山彦九郎もいました。
※脇蘭室旧宅跡および塾跡 煙霞楼
 大分市南鶴崎2丁目2−22

脇蘭室(1764〜1814)は塾・煙霞楼で帆足萬里、毛利空桑始め多くの高名な弟子を教え、この場所に51才で没しました。